道下直樹 監督作品



風景とドキュメンタリー の遺構探訪映画
記 憶 〜雲上のまち小串鉱山〜


 

スタッフインタビュー

 

 

 

道下 直樹 [企画・製作・監督・プロデューサー・撮影]

  

初めに、小串鉱山をテーマにした映画を企画をされたのは何故ですか?

 小串鉱山跡の事を知って、私は廃線とか遺構が好きだったので一度訪れてみようと行ってみたんです。 そしたら何と言うか日本離れした絶景に遺構が点在してる遺構のテーマパークみたいな所だった。
私の場合は、遺構を訪れた時に必ず想うのは、ここでどんな事があったかという事なんです。 どんな人たちが生活して、この場所はどんな時間を過ごして来たんだろうっていう。 自然映像なんかを撮っていると感じるんですが、たった1年で自然の物って姿が変わっちゃうんです。気に入った湧水場があって、いい雰囲気だなと思っていると次の年には崩れちゃったりで形が変わってたりするわけです。 だから小串のこの光景もちゃんと記録しておかなきゃなという気持ちと、きっとここで住まわれていた方々もご高齢になっていて、きっと小串の記憶が消えて行っちゃうな、今ちゃんと記録しておかなきゃと思ったのが純粋な動機です。

 

作開始から9年経過していますが…。

 はい。随分経ってしまいました。(笑)
撮影を開始した頃ってまだテレビもSD(標準画質)で、うちもそれで撮っていました。そのうち色々とやってるうちにテレビがHD化しちゃって撮り直さなきゃって話になりました。それ以外にもホントいろいろとありました。(笑)
一番の問題は、どういう映画にするかというのがいまいち見えなかったんです。当初からコタさん
(音楽担当者小谷氏) に小串をテーマに交響曲を作ってもらって、それを小串に関わる皆さんに贈りたいというのは決まってだんですけど。映画として描く時に物理的にも気持ち的にもあれこれ考えると納得できない部分がまだ沢山あって、それで止めてたってのが一番の理由です。
なんたら特集とかドキュメンタリーならNHKさんが作ってくれたらそれを見た方が絶対に良いわけです。(笑) で、2年くらい前にふと自分らしい作品で良いんじゃないかと吹っ切れたんです。まずは今のありのままの小串の風景をベースにしようと腹を決めてそれからはドンドンイメージが湧いてきました。

 

では、この映画の柱、音楽について具体的にお聞かせ下さい

 音楽担当のコタさんはずっと一緒にやってきました。
コタさんの音楽は凄く写実的できっとイメージが近いんだと思うんです。 牧歌的だったり自然の風景を音で表現したり、感情だったり情景だったり、それを描く天才だと思っています。 写実的と言ってもこうだっ!ていう押し付けがましさが全く無くて、聴いているとふわっと情景や風景が浮かんでくるんです。 そんなわけで私が惚れ込んで(笑)ずっと自然映像とか音楽映像とかのシリーズを一緒にやってきました。

 コタさんには小串の映像とかを見てもらっています。現地にも完成までに何度か足を運ぶと言ってくれていますし、もうやりたいようにやってもらうのが一番だと思っています。(笑)
私からはコタさんが思う小串を小谷
音楽で表現してもらえればそれで良いんです。

 

随分と信頼されているようですが、全部お任せなんですか?

 はい。(笑) といっても仕事はしています。(笑)
こういうイメージだからこういう曲が欲しいとか、思いついた事は逐一話しています。
月明かりでこういう色でここにこんな音楽とか。オープニングだったらストリングスベースで静かに始まって、盛り上がって、静かに終わるみたいな映像に合わせて欲しいところは話しています。後は、映画のタイトルを聞いたら音楽が浮かぶ映画の顔になるようなテーマ曲がいいとか。
だだ、完全に任せたい「交響曲小串」には一切口出しをするつもりはありません。 映画のエンディングでショートバージョンを使用する事と、映画が完成するまで完成させないで欲しいっていうことは言っています。 コタさんには私の真意はちゃんと伝わっていると思います。あっ、あと学校で先生がピアノで弾けるようにビアノバージョンも作ってねって言ってあります。(笑)

 後はイメージはドンドン作ってもらって、最終的には映画の画が繋がってからそれに合わせて曲を作ってもらいます。となりのトトロでトトロを見付けてメイちゃんが追いかけるところって言ったらわかりやすですかね? 映像に合わせて曲調が変わりながら進行する感じです。
私は「アポロ13」という映画が好きなんですが、ジェームズ・ホーナーさん
(タイタニックの音楽も担当)が音楽を担当されていて、打ち上げの辺りの13分くらい? が1曲だったりします。そんな贅沢なことって普通じゃ出来ないですよ。交響曲(オーケストレーションとの意味)てだけでもえらく贅沢なのに。 ちなみにオープニングは私が曲調に合わせます。(笑)

 コタさんのビアノ曲や音が連なって出来ている楽曲も良いですから色々な表現で小串を表現してくれると思います。 コタさんは風景や情景を音楽で表現出来る人、絶対映画音楽にも向いてるって思っているので楽しみにして下さい。なにより私が一番楽しみにしています。(笑)

 

ありがとうございます。続いてタイトルに込められた想いをお聞かせ下さい。

 本来ならば「小串鉱山」がメインタイトルになるんですが、あえてサブタイトルにしています。
それは何よりも「記憶」を大切に描いていきたいからです。
本当は語呂的にも「雲上のまち小串」としたいんですが、鉱山まで付けないと知らない人にはわかかりにくいかなと思ってそうしています。
今回、証言をして下さる方にはそれぞれの専門というか、お仕事だったり生活だったり学校だったりといった独立した感じて自由に証言をいただければと思っています。
私もガツガツ知識を入れる事はあえてせず、事前にも打ち合わせ無しで撮影をしながらご覧になる方と同じ目線で描いていきたいと思っています。ある方はAある方はBと言われたらおもいっきり迷ってしまおうと思っています。(笑) もちろんより正しい方を最終的にはお見せしなくてはなりませんが、全体を俯瞰して「こうだ」と決め付けるような方にはお願いしない事にしています。

 皆さんの記憶、今の風景から、小串の記憶を描きたいと思っています。

 

どのような映画になりそうですか?

 ドキュメンタリー映画の場合、目的とゴールがあって、ここにたどり着くためにこんな証言が欲しい、ここを膨らませたいとか筋道を立てて制作されることが多いと思います。
この映画は、短時間で小串ってこうですよってわかってもらおうと製作するつもりはありません。色々な物を集めて私なりにこうですよというのはまとめます。歴史はそうブレるものではないですから。
この映画を観ていただいて、小串がわかったという方もいれば、もっと知りたいと思う方がいらしたら嬉しいです。 たくさんの方が気軽にいらっしゃれるような場所ではありませんので私が観ていただいている方をエスコートできたらいいなと思っています。 私は自然映像を作るときのテーマに「観せられるではなく体験する」「テレビが自然の窓になる」というものがあります。

 今の小串を膨大な映像からお観せしながら、今を原点に小串の過去、そして未来を描いてゆく、今までのそれとは違う「風景とドキュメンタリーの遺構探訪映画」にしたいと思います。

 

最後に何かありましたらお聞かせ下さい。

 今までは監督として話をさせていただきましたが、プロデューサとして最後にお話をさせていただければと思います。

 この映画は群馬県嬬恋村や周辺の小串に関わる方々のお力添えをいただきながら初めて製作させて頂く事ができます。 小串に住まわれていた方々が映画の企画を聞かれてご協力して下さったり、資料館さんではこの映画を機に資料を集めて下さることになったり、本当に感謝してもし足りないと思っています。
他県の見ず知らずの男がいきなり映画を作りたいと現れたにも関わらず暖かいお言葉をいただけたことへのお礼はこの映画の製作でご恩返ししなくてはと思っております。

 この映画は一人でも多くの方に観ていただく為に商業作品として製作していますが、利益を求めず文化事業として製作を続けております。 その為、本来はスポンサーや放送局さんを集めて製作するのですが、自由に製作をし発表出来るようにとあえてこじんまりと製作をしています。ぜひ完成後には、改めまして幅広い方々に公開に関しましてのお力添えを賜われればと考えております。

 私はこの映画が完成しても、ライフワークとして小串を撮り続け探求していきたいと思っております。
また、小串は本当に素晴らしい遺構です。産業遺産としての末長い保存活動に私も微力ながら参加させていただきたいと思います。

 正直に言うと、たくさんの方が押し掛けるような場所になって欲しくない気持ちもします。 小串を知ってもらいたい気持ちとそのままの姿を残して欲しいという甘酸っぱい気持ちです。 私のこの気持ちを感じていただけるような映画にしたいと思いますので、楽しみにしていただけたらと思います。

 

本日はありがとうございました。

 こちらこそ、ありがとうございます。

 

2014年7月22日インタビュー

 

 完成後 須坂新聞 寄稿全文

私が小串の事を作品にまとめたいと思ったのは、草軽電気鉄道の廃線跡を辿ろうと地図を開いたところ、小串鉱山跡と云うのが目に入ったんです。
行ってみたら遺構が点在していて、日本離れした風景が広がっていてその風景やそこに暮らした方々の記憶を残さないと時間と共に消えていってしまうんじゃないかと思ったからです。

当初慰霊の会さんにお電話したのですが、あまりテレビに良い取り上げ方をされなかったようで、お手伝いは出来ないと言われました。
そこでありのままの姿を映像にしたいと一生懸命に企画を語って、それならばと言ってって頂いて撮影に入る事ができました。
嬬恋村役場さん、高山村役場さん、そして須坂市さん、八町先生、そしてご証言を頂いた皆さんのご協力をいただくことができました。
14年をかけて、一緒に整備のお手伝いをさせていただきながらゆっくりと丁寧に描いていきました。

その中でやりたかったことは、史料の映像化ではなくて、伺いながら新しい小串の事をまとめたかったので、代表して私がお話を伺ったという感覚です。
まとめるまでは、集まった資料も読まずにまっさらで小串を歩き回りました。
逆にやりたくなかったのは、リアリティのある会話のドキュメンタリーにしたくて、たとえば今のテレビだとテロップで強調されるのが常ですが、私はやりたくなかった。あった方が親切ですが、お話を伺うのに文字はでないわけです。

気がついたら顔や目ではなく文字を読んでる。そうはしたくなかった。
私が、作品終盤に脳梗塞になって、右半身麻痺、構音障害になって、言語聴覚士さんに教えて頂いて会話の重要性がわかった。
足が不自由なご年配の方が、遭難注意かつ立ち入り禁止の現地を訪れる大変さが改めて実感出来ました。

探訪パートはちょっと長いかなと思ったんですが、試写会で当時住まわれていた方から全てのカット、カットを見るたびに懐かしく当時を思い出した。と言って頂いて安心しました。
雲上にあった硫黄鉱山を訪ねて、発見やその理由を知る、新感覚な遺構探訪映画
記憶 〜雲上のまち小串鉱山〜 を是非ご覧になって現地を訪れて、証言を聞く体験をお楽しみ下さい。

 


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